労働組合脱退までの流れ、最後は強行手段を発動|国家公務員 キャリアガイド
私は2007年の近畿地区の国家公務員一般職試験(当時のⅡ種試験)に合格し、同年10月から出先機関で働くことになりました。
2016年3月に自己都合退職するまでの8年半の公務員生活を記事にまとめました。
▼ 記事一覧
▼ このページのコンテンツ
↓ ↓
紙に書いた目標「労働組合脱退」を実行に移す
たまたま参加した研修で「あなたの人生の目標を紙に書き出してみよう」というワークがありました。
「2015年11月 労働組合を脱退し自己啓発費用を捻出」という目標を紙に書き出しました。
「紙に書いた以上、実行するんだ」強い意志をもって労働組合脱退にむけて動き出しました。
労働組合脱退を同期に相談
私が労働組合を脱退して困るのは青年組織の組合員です。
青年組織は少ない組合員で活動しているので一人でも脱退すると、他の組合員の負担が大きくなりますし、組織存続自体が危ぶまれます。
青年組織組合員の中でも私が脱退すると最も負担が大きくなる同期に相談しました。
11月終わり頃、勤務時間後、労働組合の会議室で話をすることにしました。
「本当に申し訳ないけれど労働組合を脱退したい。社会保険労務士という資格をとるためにお金も時間も必要になる。」
私の訴えに同期は理解を示してくれました。
労働組合長に脱退の意思表示
同期に了承をとった数日後、12月初旬。
「相談したいことがあります」と労働組合長にアポをとりました。
勤務時間後、労働組合の会議室。
怪訝そうな顔をする労働組合長に話し始めました。
「労働組合を脱退したいです。実は数年後に退職を考えています。転職先の選択肢を資格の勉強をしており専念したいです。組合費の負担も大きいので続けることはできません。」
私の訴えに対し労働組合長は「いきなり、とんでもないことを聞かされて混乱している。一つ言えることは、それでは労働組合を脱退する理由にはならない。脱退は認められない。」
脱退には断固反対でした。
私も覚悟を決めていたので食い下がりますが話は平行線で1時間くらい経つと「今日はこの辺で」と労働組合長は帰っていきました。
年が明けて、再度、労働組合長と対峙
労働組合長に脱退意思を示すも認めてもらえず、年末はバタバタを過ぎてしまい、年内に労働組合を脱退することはできませんでした。
年明けもバタバタでようやく1月下旬、労働組合長と再び話し合うことになりました。
組合長は私の話を聞く前に「脱退は認められない。」と先手を打ってきました。
私もイライラしてきて「なんで脱退できないのですか?労働組合って自由加入ですよね?」と応戦しますが「勝手は認められない」と突き返されました。
脱退の最終手段
話し合いでは解決できないと思い最終手段に出ました。
組合費の引き落としをさせないことです。
銀行に行き、組合費の自動引き落としを解約する手続きをしました。
組合費の引き落とし日、組合費の管理担当者に「組合費の引き落し契約が解約になっていて組合費が引き落としできないのだけれど」と言われました。
「先月、労働組合を脱退する意思は示しています」私は答えました。
「とりあえず組合長に話を聞いてみるね」担当者は困惑していました。
その後、組合長から連絡はありませんでした。
ケンカ別れとなり残念でしたが、労働組合を脱退することになりました。
▼ 続きは・・