私は2007年の近畿地区の国家公務員一般職試験(当時のⅡ種試験)に合格し、同年10月から出先機関で働くことになりました。
2016年3月に自己都合退職するまでの8年半の公務員生活を記事にまとめました。
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国家公務員 若手職員の定義
私が働いていた官署では係長になるまでの職員を若手職員と考えていました。
大卒程度一般職試験の場合、7年で係長昇進していました。
人事課人事係に配属されたのは入庁から4年半。
後輩は私の半年後に入庁した女の子だけ。
その女の子も同じ年の採用面接をうけているので同期みたいなものです。
後輩は増えない一方で、先輩職員は係員から係長に昇進していきました。
若手職員が年々少なくなっていきました。
労働組合青年組織
私は入庁と同時に労働組合に加入しました。
当時、ほとんどの職員が労働組合に加入しており、加入しないという選択肢はありませんでした。
労働組合には全ての組合員が属する本組織に加えて、若手組合員で構成される青年組織、女性組合員で構成される女性組織がありました。
青年組織内で役員を選出しなければならず、部長・副部長・書記長を選挙で決めることになっていました。
労働組合青年組織の役員選挙
役員選出のための選挙と言っても、まず立候補者はいません。
そのため、若手組合員全員の中で部長・副部長・書記長にふさわしい人物を記名し、得票数が最も多かった組合員を選出する方式をとっていました。
なお、途中まで平役員も選出していましたが、若手組合員が少なくなり役員体制を維持することが困難になったため、部長・副部長・書記長のみを選出することになりました。
入庁から4年半はなんとかやりすごしていましたが、先輩の数も少なくなり、とうとう副部長に選出されてしまいました。
役員選挙を巡る裏切り行為
部長・副部長・書記長の中で最も面倒な役員は書記長でした。
労働組合本組織との日々の調整や年に一度の総会の準備をしなければならないからです。
一方で、最も負担が小さいのは副部長でした。
今までは立候補者などいなかった役員選挙で立候補する者がいました。
その組合員は「副部長」に立候補したのです。
本人は「年齢的に自分は上から2番目だから副部長として、組織を盛り上げていきたい」と立候補理由を語りました。
しかし、部長や書記長に立候補するならまだしも、最も負担の小さい副部長に立候補したので、ほぼ全員の反発を買いました。
信任投票の結果
副部長の立候補者は一人だけですが自動当選することはありません。
信任投票で過半数の信任を得なければなりません。
信任投票の結果は信任が1票、残りは不信任でした。
信任を得られず副部長になることはできませんでした。
仕切り直しで行われた部長・副部長・書記長の選出選挙で、その組合員は「書記長」に選出されました。
労働組合青年組織の活動
労働組合の青年組織で具体的にどのような活動をしていたのか?まとめました。
飲み会
労働組合活動と聞くと構えてしまうかもしれませんが、主たる活動は飲み会です。
- 新卒職員が採用になった
- 全国異動の若手職員が転入してきた
労働組合に加入してもらい歓迎会を開きます。
- 係長昇進に青年組織から卒業することになった
- 全国異動の若手職員が転出することになった
送別会を開きます。
他にも忘年会もありました。
飲み会の参加費は組合からの補助が出て半分自己負担というのが多かったです。
青年組織の飲み会ということでガッツリ食べることができるお店をチョイスしました。
機関紙の発行
飲み会など青年組織活動を行ったときは機関紙を作って、全ての組合員に配布しました。
飲み会で撮った写真を貼り付けて過去に発行した機関紙の内容に少し手を加えたら完成です。
新人が加入したら紹介したり、スペースが余ったら競馬予想を書いたり、自由に書くことができました。
当局への交渉
青年独自の要求を当局に交渉する機会もありました。
当局といっても普段身近にいる総務部長や人事課長が交渉相手です。
出張旅費日当の引き上げや新卒採用を増やしてほしいといったことが主な要求内容でした。
交渉を終えたら交渉内容を思い出してメモを書き、機関紙を発行しました。
交渉中は一言一句メモをとることはできませんが、不思議と頭に残っているため、交渉を行ったその日に、思い出しメモを書き出しました。
定期大会
組合活動は8月で一区切りを迎えます。
7月中に次期役員の選挙を行い、8月に定期大会を開催し1年を締めくくります。
定期大会は盛り上がることもなく、議事進行メモに従い淡々と進んでいきます。
定期大会が終わると、卒業する人がいる場合は送別会、いない場合は大会の打ち上げをします。
他官署の青年組織との交流
労働組合の青年組織の活動は官署内だけでなく、同じ地域の他官署との交流もありました。
交流を行うため地域組織を結成していました。
この地域組織に各官署から2名ずつ幹事を選出し、選出された幹事で役割を割り当てていました。
私が幹事に選出された年は、私の官署が事務局をする年だったので苦労しました。
事務局の仕事は、幹事会や各イベントの日程調整、幹事会の前に意見を集約、青年組織の上部組織に報告連絡相、がありました。
そもそも連絡をとるのが大変
官署内と違い、地域組織は勤務する場所はもちろん、勤務形態(夜勤や土日勤務など)も異なることもありました。
連絡しなければいけない相手も多く、他官署の人間ということで気を遣う必要もありました。
なかなか返事がこないこともあり、回答期限を設定しても守ってくれないこともありました。
連絡をとるのが大変なのに私が事務局になった年、地域組織を拡大することになりました。
これまで交流のなかった官署と連絡をとり調整するのは、仕事よりも大変でした。
学習会の講師
地域組織の交流の中に労働条件に関する学習会を開催する必要がありました。
学習会の企画運営の担当ではなかったのですが、担当から学習会の講師が見つからないと相談をうけました。
私は人事課で給与計算の業務を行っていたので「給与特例法でいかに給与賞与が減額されたか?」というテーマで講師を引き受けることになりました。
外部講師に依頼すると謝金が発生しますが、私が講師をしても謝金はありませんでした。
給与特例法について法律規則を読み込んだり、データを集計したり、全くの素人でも理解できるような資料を作成したり、といい経験になりました。
沖縄旅行
地域組織の交流の中に沖縄旅行がありました。
沖縄旅行の企画運営を行う担当にもあたってしまいました。
当時、子どもが2人とも小さく手がかかる時期だったため、私は沖縄旅行に行くことはできませんでした。
- 参加者の募集
- 上部組織への予算要求
- 旅行会社との打ち合わせ
- 現地の行動スケジュール
- 訪問する施設との連絡調整
- 旅行のしおりの作成
- 参加者の事前説明会
- 旅行後の報告書や機関誌の作成
まるで旅行代理店のようなことを3か月がかりでやり遂げました。
地域組織からの報酬はありませんでした。
旅行代金を楽天カードで支払うことができたため、4,000ポイント以上ゲットできたのが唯一の救いでした。
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