週末は、鹿児島県南九州市にある知覧特攻平和会館を訪れました。
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93歳のおじいさんと
実は高校卒業まで鹿児島に住んでおきながら、「知覧特攻平和会館」を一度も訪れたことがありませんでした。
今回、訪問のきっかけになったのは、妻の祖父が、愛知県から旅行に来たからです。
台風の接近が心配でしたが、93歳のおじいさん「一度は訪れたい」という念願を叶えることができました。
理不尽が「死」につながる時代
最も印象に残ったのは「特攻隊員の家族にあてた手紙」でした。
自分の命を捨て敵艦に突撃することを命じられた特攻隊員たち。
理不尽につきつけられた「死」を前に、家族につづった手紙は切ないものでした。
特に小さい子どもを残して死んでいく若いパパの手紙は読んでいて辛くなりました。
現物の手紙から無念な思いが伝わってきました。
おじいさんの言葉
おじいさんも戦争経験者です。
特攻兵の写真や手紙を食い入るように見ていました。
「特攻兵はこうやって語り継がれる」
「戦争は特攻兵の何百倍ものひとが犠牲になった」
「戦争はいかんよ・・・」
会館を訪れ、おじいさんの言葉を聞き、特攻兵に限らず戦争というものは一個人ではどうすることもできない「理不尽」なものだったと改めて思いました。
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時間は有限
今回は戦争の理不尽さのほかに、「時間は限られたものである」ことを感じました。
私はこれから先も「知覧特攻平和会館」を訪れることはあるでしょうが、おじいさんにとっては最後の機会だったと思います。
念願を叶えることができて本当によかったと思う一方で、自分自身に置き換えると焦りを感じました。
私の人生のカードは年々確実に少なくなっています。
学生時代までは「きれいだな」としか感じなかった旅行先の風景も最近は「もう見ることはないだろうな」と思うことも増えました。
「時間は無限」から「終わりのあるもの」に変化してきました。
現代の理不尽と向き合いながら、限られた時間や選択肢を少しでも自分の納得いくものしていきたいと感じた週末でした。
我が家のパワースポット「蒲生八幡神社の大楠」も案内しました。
樹齢1500年の大楠を感慨深く眺めていました。
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