苦労の日々から一転 息子・娘が生まれ成長していく家族 祖母の死をきっかけに家族で鹿児島への移住を決断 転職はどうする
筆者の生い立ちから、ブログ開設までの経緯をストーリー形式に綴っています。
どん底から一変、安定期を迎える
2007年10月 国家公務員 就職
無事社会人となり、親になりました。
社会人1年目で生活はカツカツでしたが、就職前の状況を思うと不満はありませんでした。
2009年 結婚式・第二子誕生
念願だった結婚式も挙げることができ、第二子も産まれ、順調に家族は成長していきました。
2011年 中古マンションを購入
「このまま神戸に住み続けることになるだろう」と思い、中古マンションを購入しました。
どん底の就職浪人から少しずつ安定してきました。
国家公務員 国家公務員給与引き下げ特例法
当時の社会情勢により、給与が大幅に減額となりました。
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この一件で、公務員の身分に安住していてはダメだなと思い、自己投資を励みました。
資格の勉強を始め、自己啓発書を読みあさるようになりました。
祖母への誓い
2013年2月に鹿児島の祖母が亡くなりました。
鹿児島に帰るたび優しく出迎え、神戸に戻るときは涙を流していた祖母。
「いつかは鹿児島に戻り家を護ってほしい」と生前何度も言い聞かされました。
「鹿児島に帰ってくるから安心してね」棺にいれた手紙に誓いを立てました。
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鹿児島移住を意識する
「移住したい」妻に思いを伝えました。
鹿児島のことを気に入ってはくれてはいたものの移住となると話は違います。
何度も気持ちは揺れ動いていましたが了解してくれました。
移住の時期は第二子が小学校に入学する2016年春に決めました。
移住するに当たり最も問題となるのは仕事でした。
職業選択の幅を拡げるため、引き続き資格の勉強に引き続き励みました。
移住に向けて
妻の実家に移住の意思を伝えましたが、最後まで納得してもらえませんでした。
職場には、翌年の採用活動が始まる2015年夏に退職の意思を伝えました。
仕事は軌道に乗ってきた時期で順調でした。
同一部署に5年いたため、仕事を思うようにコントロールできました。
業務の効率化や職員の能力向上に向けた新たな取り組みを打ち出していきました。
退職当日まで精一杯自分の力を出し切ることができたと思います。
転職先もすんなり決まる
資格の効果もあってか、転職先もすんなりと決まり、在職中の2015年冬に内定をいただきました。
大学入学から13年。
「生まれ変わりたい」一人で住み始めた神戸の街。
一家四人で鹿児島に移住する日が近づいてきました。
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